季刊まちりょくvol.16
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10□タウトが仙台に来るまで ブルーノ・タウトの来仙には、世界におけるデザインの動きが関係しています。タウトはドイツ工作連盟(※1)のメンバーでしたが、当時の日本のデザイン関係者は、そのドイツ工作連盟やバウハウス(※2)に関心をもっていました。タウトは建築家として著名でしたが、当時の日本の建築界では、ル・コルビュジエ(※3)という次に続く人の時代になっていました。日本のデザイン関係者たちは建築家としてではなくてドイツ工作連盟のタウトに関心を寄せたんです。今は、プロダクトデザイナーとか家具デザイナーなどと細分化されていますが、19世紀から20世紀初頭の建築家は家具やインテリア、庭なども含めて総合的にデザインしていました。タウトも椅子やアイロン台、 2013年、当財団は工芸指導所とそこから始まる仙台のものづくりについての展示「工芸Designの原点 仙台発・国立工藝指導所をめぐる物語」を開催しました。その企画の監修を務め、長年ブルーノ・タウトと工芸指導所に関する研究を行ってきた東北工業大学の庄子晃子名誉教授、また、今年7月のまち歩きイベント「タウトが歩いた道を歩く(宮城野編)」(P.8掲載)のガイドを務めたフリーライターの西大立目祥子さんに、タウトと仙台についてのお話をうかがいました。タウトブルーノ・が仙台に残したもの庄しょうじ子 晃あきこ子さん(東北工業大学名誉教授)タウトと仙台この人に聞く⇒P.8から続く

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