季刊まちりょくvol.16
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12るいは輸出できそうなものを探してきました。工芸指導所での最後の日(1934年3月6日)に、タウトは展覧会を文書で提案しています。展示会場の見取り図も添えられていますが、中心に一番いいもの、すなわちタウトが収集してきた日本の工房で古くからつくられてきた工芸品を置き、一番外側には従来工芸指導所でデザインしてきた試作品を展示し、その間に自分と所員たちが研究した成果を展示しなさいと記しています。タウトは決して自分が一番上などとは言っていなくて、古来日本はいいものをつくってきたということを教えてくれています。自分と工芸指導所の若者たちが取り組んだのは中間だと。非常に謙虚ですよね。 また、タウトは指導所に対して、ものをつくる際、実物や関係資料を集めて研究し、デザインして原寸のモデルをつくり、その都度やり直しをして、最終的に自分たちがOKになったら、外部の人々からなる委員会にかけなさいと言っています。それでそこを通ったら製品化しなさいと。いわゆる外部評価というのをすでに言っているんです。ひとりよがりになるなと。ものづくりの姿勢として偉いなと思いましたね。 ところでタウトの日記は、仙台のあの時代の市民の様子、まちなかの様子を懇切丁寧に書いた人は意外にいなかったわけですから、民俗学や地域史の資料になると思います。そのタウトの日記の1933年の巻を、昨年ドイツでマンフレド・シュパイデルさんという方が出版したんです。シュパイデルさんは建築の研究者で、日本にも留学していたことがあります。その本には、タウトが描いた絵や撮った写真はもちろんのこと、シュパイデルさんがつくったタウトの行動を示す地図が掲載されていて、今年、1934年の巻も出る予定です。タウトの日記を通して、現在のドイツで仙台を紹介してくれているわけです。タウトについては、そのようなエピソードも添えておきたいと思います。※1 ドイツ工作連盟…略称DWB。1907年、ドイツ・ミュンヘンで結成された、産業製品を発達させることを目的とした団体。美術家・デザイナー・実業家などが参加し、タウトもその一員だった。※2 バウハウス…1919年、ドイツ・ワイマールに設立された、美術と建築に関する総合的な教育機関。産業と芸術の統合を理念とし、現代デザインの基礎を築いた。※3 ル・コルビュジエ(1887年~1965年)…スイス出身でフランスで活躍した建築家。新たなシステムや考え方を提案し、20世紀以降の建築界に大きな影響を与えた。※4 国井喜太郎(1883年~1967年)…工芸指導所の初代所長。1928年から1943年まで所長を務め、工芸の大衆化、産業化を推進した。※5 剣持勇(1912年~1971年)…1932年から1955年まで工芸指導所に在籍し、その後独立。1964年、代表作「籐丸椅子」が日本の家具として初めてニューヨーク近代美術館の永久コレクションに選定された。庄子晃子さん東北工業大学名誉教授。北九州市生まれ。東北大学大学院修了(美術史学専攻)、ドイツ・ハイデルベルク大学美術史研究所留学。千葉大学大学院にて論文博士の学位取得。仙台でブルーノ・タウトが指導した照明器具の復元などに携わる。東北工業大学工学部工業意匠学科教授を務め、国井喜太郎産業工芸賞、日本デザイン学会賞、日本基礎造形学会功労賞をそれぞれ受賞。共著に『仙台市史特別編3 美術工芸』など。Webサイト「仙台デザイン史博物館」を開設。現在、宮城県教育委員会委員長。

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