季刊まちりょくvol.16
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14ち、洋装の人も行き交う。そんなところをタウトは歩きまわり、そのとき何を感じたのかを日記に具体的に記しています。 タウトは建築家としてドイツを中心に活動してきて、その頃のヨーロッパは古い建築様式を否定してモダニズムを模索している時代だったと思うのですが、タウトは日本に来て西洋風の建築を「いかもの」って批判しているんですよね。厳格な様式の中でもがいてきた人の目には、日本の大工さんが外側を真似てつくった建築がおそらく気持ち悪かったんだろうなと(笑)。そういう感覚でもって仙台の洋館も眺めたんだろうなと思います。 当時、外国のものを受容して一生懸命模倣しながら西洋に追いつこうという風潮がまちにも溢れていたと思うのですが、それをタウトは一蹴して、日本の昔ながらの農家が美しいと言っていたりする。なぜ日本のなかで磨かれてきた様式を捨てて西洋のものを形だけ真似るんだ、とタウトは思ったのでしょうが、その視点はもしかしたら今必要なものかもしれないとも思います。□「記憶の目」を残すために 私がまちを歩いて「誰かとつながっている」という感覚を持ち得るのは、やはり何かが残っているからだと思います。 タウトが見たもの、例えば乳銀杏などは残っているので、それを今見るとタウトとダイレクトにつながる感じがするけれど、戦後、宮城野原には球場や貨物ヤードができて野原が失われてしまい、タウトがどのように歩いてここで何を思ったか、それに思いをはせるには距離を感じてしまいます。 工芸指導所のあたりは丘になっていて、もともとX橋を越え狭い道を上がっていくと、そこに丘の森があらわれるという感じでした。タウトも、土地の高低差や上り詰めて丘が広がる感覚をきっと感じていただろうと思います。それが近年大きな都市計画道路が通り、下から丘が見通せるようになってしまった。工芸指導所のまわりをどのように歩こうか、7月のまち歩きの下見をしていたときに、その光景を見て、ついに丘も失われたのだなとあらためて思い、野の喪失と丘の喪失というものを強く感じました。 タウトが見たものを残していかないと、タウトの目が失われる。タウトに限らず、いろいろなものが壊されることによって、誰かの「記憶の目」が失われてしまいます。壊されれば、誰ともつながりようがないのです。だから、さまざまな時代の痕跡をかすかなものでも残していきたいと思っています。西大立目祥子さんフリーライター。仙台市生まれ。宮城県内を中心に、住民による地域づくりや雑誌づくりに関わる。「地元学」の視点で、仙台市内のまち歩きを続けてきた。2006年、市民有志で「まち遺産ネット仙台」を結成、歴史的建造物の保存活動に取り組む。著書に『仙台とっておき散歩道』(無明舎出版)、『寄り道・道草 仙台まち歩き』(河北新報出版センター)、共著に『写真帖 仙台の記憶』(無明舎出版)。

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