季刊まちりょくvol.16
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15 タウトは仙台で東北帝国大学(現・東北大学)の教授たちとも交流していました。タウトの招聘に協力した美学者の児こじま島喜きくお久雄をはじめ、医学者・太おおた田正まさお雄(詩人の木きのしたもくたろう下杢太郎)、法学者の勝かつもとまさあきら本正晃など、その名前はタウトの日記にも登場します。それらの教授たちは風流の遊びに通じていたようで、仙台文学館の渡部直子学芸員によれば、「昭和初期の仙台には娯楽が少なかったこともあり、東北帝大の教授たちは市内の料亭や互いの家に集まって日本画や書を書いたり、松尾芭蕉や井原西鶴といった古典の研究会などを催し、楽しんでいました」。 その集まりにタウトも招待されています。仙台を離れる直前の1934(昭和9)年3月、料亭「春日」(現在の青葉区本町にあった)で催された教授たちの酒宴に参加したタウトは、宴会の途中で筆をとって絵を描きはじめる彼らの様子を日記に記しています。 そのような席で描かれた教授たちの書画作品が現在、仙台文学館に所蔵されています。「勝本教授のご遺族から寄贈されたもので、そのなかにはタウトの色紙も含まれていました」と渡部さん。タウトと教授たちの交流、昭和初期の教養人たちの集いをしのばせる貴重な資料となっています。仙台文学館で所蔵するタウトの色紙。タウトの日記に「夜、色紙を六葉描く、先夜、私を招いてくれた教授たちに贈るもの」とあり、そのうちの2枚と思われる。タウトとその周辺を知る①と

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