季刊まちりょくvol.16
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5タウトブルーノ・特集16 1933(昭和8)年11月10日。上野発の汽車から仙台駅のホームに降り立ったひとりのドイツ人がいました。彼の名前はブルーノ・タウト。世界的に著名な建築家で、桂離宮などの日本の建築や伝統美を評価したことで知られる人物です。 祖国のナチス政権を逃れ日本に滞在していたタウトは、仙台に設置された国の機関「工芸指導所」(※)に招かれて来仙したのでした。以後タウトは工芸指導所で“ものづくり”を指導し、「見る工芸から使う工芸へ」の理念を根付かせました。その傍ら仙台のまちを歩き、風物や人々の様子、日々の暮らしを細かく日記に書きしるしました。その記述は、当時の仙台を知る上で資料的価値の高いものと言えます。約4か月間という短い滞在ではありましたが、タウトは大きな足跡を仙台に残したのです。 タウトが仙台を離れてちょうど80年。今回の特集では、ブルーノ・タウトを通して、仙台を再発見する手がかりを探します。ブルーノ・タウト(1880年~1938年)ドイツ人建築家。ドイツ工作連盟のメンバーとして活躍。日本に関心をもち、1933(昭和8)年5月に来日。京都、大阪、東京などを経て、同年11月に来仙。翌1934年3月までの約4か月間仙台に滞在し、工芸指導所で指導を行った。その後は群馬県高崎市に移り、1936年離日。1938年、トルコのイスタンブールで死去。タウトが設計を手がけたベルリンのモダニズム集合住宅はユネスコの世界遺産に登録されている。と仙台※工芸指導所…日本の伝統工芸の近代化をはかり輸出を振興すること、また、東北の産業の開発を目的に、商工省(現・通商産業省)の機関として1928(昭和3)年に仙台に設置された。木工品と金属工品に関する実技の講習会や職人の養成、東北帝大との共同研究、玉虫塗や打うちこみぞうがん込象嵌といった技術の開発などを行った。1940(昭和15)年、東京に本所が新設され、以後度重なる組織改編を経て、現在その成果は独立行政法人産業技術総合研究所東北センターに引き継がれている。

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